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水曜朝礼

DATE : 2011/2/22

先週の「水曜朝礼」は
高校3年A組担任の古田先生よりお話がありました。

 みなさん、おはようございます。私は、教科は英語を教えています。
本校では高校生で交換留学をしている生徒もいますが、その留学希望者の相談にのったり、オーストラリア研修の準備に関わったりしています。
また来月に行われる第9回オーストラリア研修の引率として21名の生徒と一緒にメルボルンへ行きます。
 これまでのホームステイや大学卒業後に行った自分自身のイギリス留学を通して、異文化に触れる機会がたくさんありました。今日は、それらの体験で私が感じたことをお話しようと思います。

 私は青森で生まれ育ちました。みなさん、青森と聞いてどんなことをイメージしますか?
私の実家は、みなさんが想像するよりさらにちょっとだけ田舎です。
保育園から一緒の幼馴染みたちと中学まで過ごし、受験した高校は実家から遠く、通うことが不可能だったので、下宿をしていました。そして、大学進学のときに両親に「4年間だけ、青森県外で生活させて欲しい。4年たったら絶対戻ってくるから」とお願いをして横浜に来ました。(でもその約束は守られずここにいますが…)
ここ横浜にきて大学に入るまで、ネイティブの人と英語を話す機会は全くといっていいほどありませんでした。
大学ではネイティブの先生の講義があり、英語での授業では必死で耳を傾けていました。それからアルバイトをしながらそのお金で英会話学校に通ったりもしました。
今でも、みなさんが英会話の授業でネイティブの先生から教えてもらえることや、横浜にはたくさんの外国人と話す機会があるので羨ましいなあと思います。
当時、青森で学生生活を送っていた私にはなかった異文化に触れる機会が、こちらに来てから溢れるようにありました。大学で英語教師になるために勉強していたことや英語という言語や文化へ触れる機会が増えたことで、異文化への好奇心がどんどん膨らんでいきました。
そして大学を卒業してからイギリスでさらに勉強したいと思い始め、自分で準備を始めました。英語圏の中でイギリスを選んだのは、高校のときから世界史が好きで、特にヨーロッパに惹かれていたことと、大学時代に一度イギリス旅行をしたことがあり、身近に感じられたからです。

 今でも、イギリスに到着したときのことは忘れられません。これから始まる未知の世界への期待は大きかったですが、一人ロンドンの街で、あの赤い電話ボックスから両親へ無事に着いたという電話をしたときは、急に世界に一人だけになったような錯覚に陥るほど悲しくなりました。
青森を出発する日に、両親は「どうしても辛くなったらここに戻ってくればいい」と私に言ってくれたことを思い出しながら、逆にどんなに辛くても絶対に卒業してから帰国しよう、それまでは日本に帰らないと決意しました。最後に自分の帰る場所があるという安心感が私をさらなる挑戦へ後押ししてくれました。

 次の日から寮に入り、留学生活が始まりました。今でも留学生活について思い出すことはたくさんあります。何年経っても色褪せない記憶として私の中にありますが、本当に色々な体験をしました。
イギリス滞在中ずっと感じていたことは、「やはり私は日本人である」ということです。ロンドンには世界中の様々な国籍の人が住んでいます。日本を離れてそのような環境にいると、自分が思っている以上に、日本人として見られるということを実感しました。
また良く言われるように、日本人として日本について聞かれる度に、自分がいかに自分の国についての知識が不足しているのかを思い知らされました。
 例えばこんなことがありました。大学の寮では、大阪出身の友だちもでき、食事などはいつも二人で工夫して作っていました。二人でどうしてもうどんが食べたいけれども、日本食は高いのでスパゲッティを出汁にいれてうどん風にしたりして食べていました。
イギリスの通貨はイギリスポンドです。現在は1ポンド=約133円ですが、当時は1ポンド=260円まで円安になっていました。物価が高く、食料品は一つのものを買って分けて使ったり、洋服も高くて買えずに、日本から船便で送ってもらったりもしました。
なるべく無駄遣いをしない生活を二人で送っていました。
そんな寮には、台湾からの留学生もいました。アジア人同士ということもあり、キッチンで食事を一緒にすることも多かったのです。
ある日、食べていたバナナがけんかのもと、今思えば議論になるのでしょうが、バナナがきっかけでけんかになりました。
台湾の友人がこう言いました。「日本人が台湾で作った出来の良いバナナを食べるから、私たち台湾人はいつも商品にならないようなバナナしか食べられないんだ」と不満を口にしたのです。
びっくりしました。台湾バナナ??と思いました。フィリピンが有名なのは知っていましたが、台湾バナナはそれまで気にしたこともありませんでした。
その友人は、「台湾のバナナ農家は日本に売ると高く売れるから、みんないいものは日本に出荷するんだ。」私と友人は、「それは農家の人がそうしたいからで、経済の問題だよ。」と答えました。台湾バナナは食べたことのない自分が、日本人だというだけで一括りにされ非難されるような発言に何とか対抗しようと思いました。
しかし、彼女を納得させるだけの経済のしくみや日本の輸出入に関しての充分な知識もなく、結局、今考えると馬鹿な発言ですが、「いいよ、台湾からのバナナは食べない!」って言い捨てて話を終わりにしました。
 それからこんなこともありました。授業で心理カウンセリングの授業をとっていました。欧米の心理カウンセリングの様々な方法について学ぶ授業でした。そのクラスでは日本人は私だけで、ある日こんな質問をされました。
「日本では自殺者の数が多いがそれはどうしてですか?」それに対して何と答えたかは覚えていませんが、もっと日本人としてみんなのためになる話をしてあげられたらよかったのに、と気が沈んでしまったことを覚えています。
 「バナナでけんか」や「カウンセリングの授業」と同様のことが、留学中にたくさんありました。
自分という個人を超えて、ひとまとめに「日本人」として見られることに腹立たしさを覚える人もいるでしょうが、しかし、その国の代表者であるかのように「日本人」として見られるということも事実です。
このようなことがある度に「自分は日本人なんだ」という再確認させられました。

 私は日本がとても好きですが、ロンドンでは日本が嫌いな日本人もいました。日本人だけが集まっておしゃべりしていても、一人だけ英語で話すのです。こちらが日本語を話し、英語で答えが返ってくるというおかしな状況に、「この人は何をしたいんだろう?」と思ったこともあります。
いくら日本が嫌いでも、結局その人は「日本人」として見られているのです。みなさんが出会う外国人は、みなさんを通して日本という国や文化を知りたいと思っています。
「日本について教えて欲しい」と言われたら、みなさんならどうしますか?今教えてあげられることは何がありますか?
日本について教えてあげたい気持ちがあっても、その知識がなくて充分に伝えられないもどかしさをいつも感じていました。
みなさんの中にも将来留学をしてみたいと思っている人がいるでしょう。そんなみなさんは、英語を勉強するだけではなくて、たくさんの本を読み、様々なことに興味を持って自分の知識を増やしていって欲しいです。

 留学生活では、自分が日本人であると実感したほかに、やはり自分がそれまで学習してきた英語という言語に関してもより深く考えるきっかけがいくつかありました。
当たり前に聞こえるかも知れませんが、言葉は意思を伝える、コミュニケーションのための道具・手段であるということです。
 みなさんは、完璧な英語ではなくても、ネイティブの人に自分の言いたいことが通じたときの嬉しさを覚えていますか?
私も最初は、頭の中で英語を組み立てて、きちんとした英語にしてから話そうとしていました。そして考えているうちに会話が進み、一言も話さないで終わってしまうということがよくありました。
しかし、本当に何かを伝えなければと迫られる状況に陥ったときに、文法なんて関係ない、単語を並べて、ジェスチャーも足して、形振り構わず英語で伝えたいことをしゃべっている自分がいました。そういうことが度重なっていくうちに、パーフェクトな英語を話さなければという考えがなくなっていきました。

 ある日、高校からの友人がロンドンに遊びにきました。とても嬉しくて、空港に迎えに行った帰りに、ファストフード店でちょっと休憩していました。
二人でコーヒーを飲みながら久々の再開に盛り上がり、いざ家に向かおうとしたときに、自分のバッグがどこかにいってしまっているのに気付きました。お店の角に座っていたので、誰も近づいて来ていないはずなのに、バッグごと盗まれてしまっていたのです。
バッグには、現金はほとんど入っていませんでしたが、カメラとそれから友人たちの連絡先が書かれた大切な手帳が入っていました。
二人ともすぐにタクシーで近くの警察署に行きました。盗難にあった状況を説明しなければならなかったのですが、盗難なんて日常茶飯事で真剣にかけあってくれないのんびりした警察官を相手に、もう正しい英語を話さなければという意識はとんで、とにかくしゃべっていました。
その日は、盗難届けを書いて「多分見つからないだろうけど」ということを言われて帰宅しました。
その後バッグはどうなったかと言えば、後日ゴミ箱で拾ったんだけど、というイギリス人の人から電話があり、手元に戻ってきました。
なくなっていたのは、財布の中のすべての現金、約1,000円程度、と日本製のカメラでした。一番帰ってきて欲しかった手帳がそのまま戻ってきたので嬉しかったです。
盗まれたものが戻ってくることは滅多にないので、本当に幸運でした。それ以降さらに自分の荷物に気を付けるようになりました。

 一分一秒がとても貴重なイギリスでの留学を無事に終え帰国し、この学校で教え始めましたが、ここでも引率として海外に行く機会があります。
その研修で、つたない英語でも自分の考えを伝えようと身振り手振りでコミュニケーションをとろうとする生徒を見るたびに思うことですが、ホームステイ・プログラムに参加する生徒の主な目的は、やはり生の英語に触れ英語力の向上を図り、家族の一員として異文化体験をするということです。
異国の地で頼れるものは自分自身だけという環境に、戸惑いながらも成長していく生徒を見ていて、一緒に来てよかったと思わずにはいられません。
普段の授業やここで、自分の気持ちが伝わることの嬉しさや伝わらないことのもどかしさなど、どれだけ言葉で説明しても、ピンとこないかもしれません。
日常とは違う異文化の中で、単語だけで相手が自分のしたいことをわかってくれた喜びや、会話を探せずに沈黙の時間が過ぎていくことの辛さを自分自身で体験して欲しいと思います。
 これまでのオーストラリア研修の中で、ある生徒が私に言った、今でも強烈に心に残っているひと言があります。
その生徒はこう言いました。
「先生、言葉や文化が違っても同じ人間なんだよね。気持ちは伝わるね。」
ホームステイを通して、自ら学んだその生徒の成長がうかがえた瞬間でした。
こちらが期待する以上のことを学んでくれた嬉しさでいっぱいでした。

 最近では、自分の思うようにならないとすぐに人のせいにし、自分で努力をしようともせず投げ出してしまう人が増えてきているということが言われます。もしそういう人が、ホームステイのような、自分の思い通りにはいかない状況に置かれるとすぐにあきらめてしまうでしょう。前向きに目の前の問題と向き合い、自分でどうにか解決しようとする姿勢が大切です。
 よく外国では、自分の意思をはっきりと示しなさい、と言われます。
これは、自分のやりたくないことを「嫌だ、嫌だ」と言って避けて通るのと違います。
たとえ言葉や文化が違っても、コミュニケーションをとる上で大切なのは相手の気持ちを考える、思いやりだと思うのです。同じ人間です。感情だってあります。自分がされて嫌なことはみんな嫌なんです。それを言葉・文化が違うということを理由にして欲しくないと思います。
もちろん、言葉や文化の違いが誤解を招くことはあるでしょう。そういう時こそ、「自分はそんなつもりではなかった。本当は…。」と自分の意思を伝えて欲しいです。
伝えたい気持ちがあれば、ゆっくりだろうが間違った英語であろうが相手はわかろうとしてくれるはずです。もういいや、と投げ出さずに伝える努力をすることで、また違った世界が見えてくるはずです。

 これまでにホームステイに参加した生徒の、研修を通して学んだことはひとりひとり違います。
ほとんどの生徒は、いつもそばにいる家族と離れたからこそ、その存在の大切さに気付き感謝していました。
普通の生活で当たり前と思っていたこと、例えばお母さんの作ってくれる夕食など、がとてもありがたく感じられた人や将来に向けての夢や、英語に対してより興味が湧いた人もいました。
 留学やホームステイなど、異国で生活するということは、ただお客様として国を訪れることとは違います。もし機会があるのならば、是非体験して欲しいと思います。
また、留学やホームステイではなくても、みなさんには異文化に触れる機会がたくさんあるでしょう。自分では想像もしない出来事が待ちうけているかもしれません。そこでみなさんが、何を感じ、何を考えていくのか楽しみです。
みなさんの異文化体験の話を聞ける日を楽しみにしています。