「水曜朝礼」では
高校3年B組担任の石見先生(旧姓 西本先生)よりお話がありました。
今日は日本一の山、富士山についてお伝えさせていただきます。
第1章 富士山の魅力
富士山を知らない日本人はいないと思いますが、あの堂々と美しい姿は、世界から見た日本の象徴にもなっているくらいです。
冬は空気が澄んでいるので特にきれいで、入学前に学校見学にいらした方を案内したときには、私はいつも5階の廊下から見える富士山を紹介します。どの方もまさかあんなに大きく見えるとは思っていないようで、目を細めて遠くを探しながら、すぐそこにあるかのような富士山を見つけて「おぉ」と驚きます。私はその驚いた様子を見るとなぜか自分のとっておきの物をほめられたように得意げになってしまいます。
富士山の魅力は、何といってもあの信じられないくらい美しい円錐形ではないでしょうか。そして周りの山々とは距離を置いた独立峰であるので、その威厳に満ちた姿がだれから見てもどこから見てもはっきりわかりやすいこと。そこに高さまで日本一とくればもう申し分ない存在感です。日本中にある円錐形の山は、「薩摩富士」や「津軽富士」などという別名で呼ばれていることからも、富士山が日本の山の中心であることは間違いありません。
私は富士山に心を奪われた身ですが、なぜこんなに好きになってしまったのか考えてみました。
一つは、自分の好きな、ダムなどの巨大建造物と、切り立った崖のような高くてスリルのある場所の両方を富士山が兼ね備えているからだと思います。つまり、大きくて高くて登るとスリルを味わえること。
もう一つは、富士山の持つ「神々しさ」にあこがれる気持ちがあるからだと思います。みんなに愛されているのに、簡単には寄せ付けないぞという近寄りがたさがかっこいいと思いませんか?すべてを包んでくれるような包容力があるのに、冬は「白い魔境」と言われるほど危険な山で、風が渦を巻き、カチカチに凍結した斜面は一歩間違えると何百メートルも下に滑落し、命を落としてしまうのです。晴れの日に5階から見える穏やかな冬の富士山も、近くまで行ってみると風がゴウゴウと音を立てて吹きすさぶ、まさに「魔境」なのです。
現在富士山を世界遺産にしようという声があがっているのはご存知だと思いますが、世界遺産の中でも「文化遺産」という種類に入るもので、単なる「自然の山」というだけでなく、古くは平安時代に始まった参拝する対象の神聖な山という面や、修行の場とされていた面を取り上げ、長年受け継いできた文化を重視した遺産なのだというアピールをしているわけです。
私が円錐形の富士山を好きな理由の最後は、中学校時代の思い出に遡ります。班の人と一緒にお弁当を食べるときに、ブロッコリーの上に乗せられて、ふたに押されていたマヨネーズが、開けたときにお弁当のふたにくっついてきて、シュッとなって円錐形になったのです。周りにいた友達から富士山だ!お弁当箱に富士山がいるね!と言われ、単純な私はとても誇らしい気持ちになりました。ちょっと黄色みがかってはいますが、そのマヨネーズの富士山がとても身近に感じられ、美しい円錐形へのあこがれが強くなったのです。
第2章 ライバル出現
ここまでお話しすると、富士山はもうナンバーワン以外の何者でもないとお思いになるかもしれませんが、残念なことに世界の中では一番の座を脅かされているのです。
世界最高峰のエベレストを始め、高さでは、倍以上もの山々が存在するのはわかりきったことですが、「美しさ」という点においても強力なライバルが現れてしまったのです。
3年ほど前にNHKの特集番組で世界遺産について取り上げていたときのことです。
ロシアのカムチャッカ半島は活火山が世界でもっとも集中している場所のひとつだそうで、移動するヘリコプターから撮影されたその映像を見て、私は息をのみました。円錐の傾斜が急で、頂上は本当にマヨネーズの先っぽのように細かったのです。日本よりずっと北にあるので、山のすべてを雪が覆っている真っ白な美しさに、続いてため息が出ました。しかもそれが一つではなく、独立峰でありながら、シュポッ、シュポッといくつもあるのです。富士山のような山が広大な大地にいくつもある光景を想像してみてください。圧巻だと思いませんか?その上すでに世界遺産に登録されているとなると・・・・完敗だと思いました。
悔しいと同時にその山のことが気になって気になって仕方がありませんでした。
そして考えた末、昨年の8月、私はロシアに行ってきました。目的はもちろん富士山とそれらの山とどちらが美しいか実際に目で見て判定するためです。
カムチャッカ半島は、シベリアと陸つづきで、北海道のずっと上に位置する寒さの厳しい場所です。シャケやいくらが特産品で、熊が川で魚を獲ったりする姿が間近に見られる自然豊かな場所でもあります。ロシアの8月といえば人々は短い夏を満喫する時期で、カムチャッカでも比較的気軽に登山ができるのはこの限られた期間しかありません。
たくさんの火山群の中で私が向かった山はコリャーク山と言い、日本のマニアの中ではカムチャッカ富士と呼ばれているそうです。コリャーク山のふもとに着いて1日目は、すぐそこに山があるはずなのに、雲に覆われてその姿を見せてくれませんでした。映画「天空の城ラピュタ」を観たことのある人は「竜の巣」のあのモクモクした雲の中にすっぽり隠れるラピュタのことを想像してくださればわかりやすいと思います。見えそうで見えない、でも間違いなく何かがある・・・私をムズムズさせるこの憎い山は、やはりただものではなさそうだと改めて期待をしてしまいました。
そして2日目、次第に雲が晴れ、ついにその姿を目の前に現したコリャーク山を見て、私は勝負の結果を判定しました。結果は! 富士山の・・・・負けでした。
高さはほとんど同じなのですが、まさか美しさで負けるとは・・・かなりショックでした。コリャーク山の素晴らしさといえば、近くで見ると山肌はごつごつとしていて厳つい男性のようなワイルドさがあるのに、傾斜の角度が絶妙で、全体の線としてみると、とても優美でなまめかしい女性のようなところだと思います。周りの土地数キロわたって高い建物がないので、街から見ても山自体の大きさが際立っていて堂々としていました。
第3章 富士山崩壊の危機
高さで世界の山に歯が立たない上に、美しさでも負け、これ以上の危機はあるのか・・・と思った方、実は富士山は深刻な崩壊の危機にあると知ったら驚きませんか?登山道のない、東名高速からも見えない、富士山の西側にあたる所、いわば一般の人からは死角になるような方面は、斜面がえぐられ、今現在も一日に10トンダンプカー28台分もの土砂が流れ落ちているそうです。これは大沢崩れと呼ばれ、亀裂の一番深いところで150メートルもの深さがあるということです。
話には聞いていましたが、生で見たことはなかったので、本格的に雪が降る前の11月ごろ、初めて富士山の西側から大沢崩れを見てきました。
山頂からシャベルでざっくりと削ったような巨大な亀裂を見て、これは周りの人にも伝えて広く知ってもらわなければと思っていたところでしたので、この場でお話できて良かったです。私一人では抱えきれないほど深刻な状況です。今度富士山を見たら、裏が崩れている!と思い出してください。
第4章 富士登山へのお誘い
これまで私が見てきて感じたことをお話しさせていただきましたが、富士山を一番身近に感じられるのは、やはり実際に登ってみることです。「富士山に登らないばか」「二度登るばか」という言葉がありますが、これは「日本一の山に登らないのはばかげたことだ」という意味と「辛く体力を使う上に単純な道の山に何度も登るなんてばかげている」という意味だそうです。
確かに富士山はその形ゆえに、道はとにかく単純です。でも、寒くて苦しくて何回登っても簡単にはいかないのです。単純な道であってもひたすら上を目指して黙々と登っているとき、心が「無」になっている自分がいます。また最近は、自分も辛くて我を忘れそうになりがちなときに、一緒に登っている人をどれくらい気遣うことができるか、これを課題としています。高山病で頭が痛くなる人、吐き気がする人、寒さ対策が十分でなく凍えている人、きちんとした登山靴を履かなかったために靴擦れで歩けない人など、地上ではありえない様々な極限状況の中で、一歩自分を深められるようになるのが目標です。
私は3歳のころ始めて富士山に登り、それから少しずつ関係を築いて良さを知りました。ですから、まだ日本一高い場所に登ったことのない人に、是非一度あの感動を味わってみてください!と広めていきたいと思っています。
本日興味を持ってくださった方にワンポイントアドバイスさせていただきますと、とにかく頂上は夏でも5度以下と寒いので侮ってはいけません。私の兄は最近ジムで体を鍛えているからと言って薄着で登ったため、何とか頂上まで登ったものの、寒さと眠気でせっかくのご来光を拝むことができませんでした。寒すぎると眠くなるというのは本当です。軽く温かいダウンジャケットが1枚あると良いでしょう。
また、よくかさばって重いからと言って飲み物しか背負っていかない人がいますが、富士登山は長時間に及びますので、食料は必ず持って行ってください。ドライフルーツやチーズなどは軽くてカロリーがあるので重宝します。途中の山小屋があいていれば温かいラーメンなどが食べられることもありますが、地上で100円のカップラーメンが800円ほどしますので、注意です。
また、バイオトイレという、オガクズで汚物を分解するため下水施設のいらないトイレが置かれています。 入るためにはお金がかかりますので、小銭をお忘れなく。富士山はごみがたくさんあるせいで世界遺産登録が叶わなかったなどとよく聞きますが、このトイレの設置も含め、数年前に比べると、確実にごみは減ってきていると思います。
頂上には夏の数週間だけですが、郵便局もひらくので、手紙を出すこともできます。もちろん消印には「富士山頂郵便局」という特別な消印が押されます。
また、浅間神社という神社がありますので、そこでおみくじを引くのもなかなか楽しいです。私はこの7月に登ったときには大吉を引きました。場所が場所だけに、何か特別なご利益があるような気がするのです。そう考えると、やはり富士山の「誰にも負けない魅力」や「数字や傾斜の角度には表せない偉大さ」というのはこの「何となくありがたい感じ」にあるのではないかというところに行き着きます。
第5章 まとめ
今日はある部分では富士山の負けも認めましたが、日本を背負っているという責任、日本人の心の拠り所としての役割というのは、外国のお同じ形をした山々にはない力だと思います。つまり日本を象徴する「日本代表」なのですね。
古くから歌に詠まれたり、浮世絵になったり、人々の生活と密接に関わりながら見守ってきてくれた実績があります。
また、ここ10年ほどの間に富士山を眺められる最も遠い場所として、322キロも離れた和歌山県から見えた!という記録があるそうです。ただ「見えた」だけなのに感動してしまう、ニュースになってしまうところに富士山の存在感の強さを実感せずにはいられません。何かロマンのようなものも感じます。今ごみの課題などにも取り組みながら、みんなの期待を背負ってさらなる成長を目指している、そんな富士山を私はこれからも好きでいたいと思います。
今日教室に戻るときに富士山が見えたらなら、話は聞いたよ、頑張って!と心の中で声をかけてみてくださいね。