6月27日の「水曜朝礼」では、中学2年C組副担任の磯崎先生よりお話がありました。
お早うございます。社会科で日本史を教えている磯﨑です。学校の中では教務=教える務めと書きますが、という仕事を担当していて、授業・試験・時間割・カリキュラムなど皆さんにしっかり勉強してもらうお手伝いを、蔭ながらしています。
そんな役割柄、今日は勉強することについて、お話したいと思います。あらかじめ断っておきます。でもこれは「永遠のテーマ」で、したがって実は答えはない、またはたくさんの答えがあって定まりません。だからアイディアとして、何かヒントになるような話が出来ればいいなと思っています。ちょっと、難しい話も出るかもしれませんが頑張って聞いて下さい。
教師をやっていると、「勉強する意味がわからない」「こんな勉強して、何の役立つのか」などと聞かれることがあります。幸い、中央大学横浜山手で教えてからはありません。こうした時、相談してきた生徒の状況にもよりますが、私はかなり意地悪な答えをします。たとえば、「意味」は終わった後に生まれるから、「意味」がわかるほど努力していない証拠だとか、そもそも勉強をする前に意味を考えること自体が勉強をしない言い訳だ、などです。意味や目的をもって行動するのが、人の人たる所以ですから、教師から生徒への答えとしては失格かもしれません。でも必ず「意味」はあるから慌てないでという思いで話しています。
ところで皆さんは、好きなことはスポーツでも勉強でも一生懸命やります。個人的に興味や関心がわいたものを頑張って練習したり調べたりする時は、大抵「意味」など考えないのではないでしょうか?ただ「好きだから」「関心があるから」という理由だけで、ものすごく頑張ってしまったという経験はありませんか?これを、「熱中」とか「夢中」といいます。一方で、熱中しているスポーツでも、プレーに直接関係ない辛い基礎練習になると、急にこの練習は「意味」がないとか思ったりします。そう考えると、われわれが「意味」を考えるきっかけのひとつに、辛いとかつまらないとか、それを避けたいなどの感覚があるというのは、あながち意地悪な見解とは言い切れないかもしれません。このことは、頭の中に入れて置いて下さい。
こうした「熱中」・「夢中」と違った形で、皆さんが勉強に集中するのはどんな場面ですか?授業に集中して予習・復習を欠かさないことを自分の約束事としている人、あるいは新しい知識や考え方を知ることが好きで頑張っている人がいるかもしれません。立派です。でも一番多いパタンは、宿題提出や試験前など、少しでもいい点数を取りたいとか、失敗したくない、先生や親に注意されたくないなどで、勉強することも多いのではないでしょうか?典型的な例が、目標達成に向けた中学や大学の受験勉強でしょう。こうした切羽詰まった場面では、先ほどの勉強する「意味」は考えない、いや考えられない、そんな余裕ないんじゃないかと思います。
この場合共通しているのは、悪い点数をとるのが嫌だという消極的なものでも、ぜひ何としても合格したいというとても積極的な場合でも、何らかの目標・目的が設定されていることであることに気づきます。その目標実現のためには、宿題や試験を通じて、とにかく必死に勉強する。でも実はそんな中で目標達成とは別に、実は考える力や知識を得て、問題を考えて解く力が着いてきたはずです。
つまり、勉強や日常には目標や目的を設定・意識できるかというのがポイントになりそうです。
学校での学習、大きく言うと学問というのは、究極的には私たち人間がどんな存在で、どういう場所にいて、どんな営みをしているかを知ることためにあるといわれます。そんなこと言われても、私あまりピンとこないかもしれません。大昔なら、目の前に起きた出来事の解決や今後起きることへの対策的な行動が、すぐに現実的な答えとなって実感できて、今よりずっと生活の実感として存在していて、その分学習することも楽しかったのではないかなどと想像しています。今だって、目から鱗が落ちるような発見を実感した時は、とても単純に嬉しいはずです。
ところが、これだけ科学が発達した世界では、全体が余りに大きくて複雑で、一つ一つの学習は全体のほんの一部であったり手段であることが多くて、目標を実現する実感を得られることは少ないのです。勉強することで、日常に即した喜びを生で得る機会は減っているのでしょう。でも、これははっきりしていますが、私たちが社会の中で生きていくためには知識や方法を、広く獲得することが必要であることは間違いありません。世の中が大きく複雑になると、全体を理解するためには想像力が大切で、そのためにもやはり学校でいろいろな教科の勉強や実技をしっかりやって、知識と肉体と感性を磨いてもらいたいと願います。
そのために、自分なりの目標・目的を設定してみましょう。人生に関わる大きいものから、宿題やテストは自分なりにまじめにやる、この科目だけは自分で納得できるようにする、など、自分なりの目標を設定してみて下さい。できればある期間は踏ん張って我慢してみて下さい、必ず意味や達成感が見えてくると思います。
学校での教科の勉強の「意味」について、最後にわたしの専門の歴史を例に「方法」という面からお話しをして、終わりたいと思います。
各教科の学習では、今まで話した知識と別に、方法または論理というものを同時に学んでいます。歴史でいうと人間社会の出来事を、一定の時間幅を設定して、その中で考えて理解するものです。歴史の場合は、過去や今日の人々の社会・暮らしを理解することが役割ですから、授業では、この時期はこういう理由で(原因で)、こういう特徴があったから、~という時代であるという風に結果を導くことが多いはずです。時間は絶対的ではありませんから、自由な発想で時間を区切って考えます。
こうした考え方や発想方法を身につけることが、学ぶことの重要な意味で、皆さんが日常で自分自身を考える場合にも役に立ちます。
例えば、皆さんの人生の中で今はどんな時期か想像してみましょう。12歳の中学1年生と18歳になろうという高校三年生の皆さんでは、おそらく違って当たり前です。でも、そうやって今をそして将来を考えてみることは皆さんの日常を実りあるものとするでしょう。
また、10代という年齢から、中学生・高校生という学校での区切りなど、いろいろな時間を設定して、今の意味を考えることは可能ですね。
大分、風呂敷が広がってしまったので、そろそろまとめましょう。本日お話ししたのは、自分なりの目標を設定しようということ。そして、いろいろな時間幅で自分を見つめてみようという2点です。特に自分の時間の中で今を知り、大切にして、より実感的な目標を設定することにつながるだろうということです。
最後に、もう1つ具体例として2012年の1学期という時間幅の中で、今を顧みて終わります。行事予定表を見ると、今は1学期の中で、体育祭・音楽祭という素晴らしい行事が続いた6月と、1学期そのものを終えようという締めくくりの時期だとわかります。そして実はあと10日ほどで期末考査が始まりますから、3~4日たてば、考査前1週間でクラブ活動も中止、勉強一色になる現実が迫っています。どうかそれを意識して、1学期の残りをより充実したものにして下さい。これからの3~4日は、皆さんの意志と気持ち次第で、いろいろな意味を持つはずです。中間考査の失敗を補うために、ちょっと早めに試験準備を開始してもよし、逆に1週間に集中するためにもここから数日はクラブや趣味に頑張ってもよしです。皆さんの自由です。目標設定をして、これからの10日間を期末考査に何らかのいい形で結びつくように、今までと違った気分で頑張って下さい。学校の教務担当として、是非チャレンジしてもらいたいと思います。そして日常をだらだらせずメリハリをつけて目標設定ができるようになれば、きっと勉強することの「意味」も見えてくるはずです。それぞれが、今までと違った気持ちで目標を立てて、試験前1週間を頑張ってチャレンジしてみましょう。そして、是非とも考査を通じて皆さんの意志と実力を高めて下さい。
それを通じて、日常と時間の意味をより深いものにして下さい。頑張って下さい。