11月14日の「水曜朝礼」では、保健の武市敦子先生よりお話がありました。
おはようございます。私は養護教諭の武市です。保健室には私のほかにもう一人、日達先生もいます。
私や日達先生は、皆さんと会った時、表情やしぐさ、顔色や体温など、いろいろなものから情報を得ようとします。その中でも言葉は、簡単でわかりやすい情報源です。
でも簡単すぎるのがあだとなって、一番わかりにくい状況を作ってしまうこともあります。
ある日の保健室にお腹が痛いと言ってきた人と私の会話を繰り返してみます。お腹の痛い人を仮にAさんとします。
Aさんは、「お腹が痛いので、湯たんぽをください」と言いました。私が、「どこが痛いの?」と聞くと、Aさんは怒ったように「だから、お腹です。」と言いました。私は「だから、どこなの?」と聞きました。
皆さんは、どうして私が同じ言葉を繰り返して聞くのか、分かる人はいますか?
一口にお腹が痛いと言っても、痛みのある場所によって、手当ての方法が違ってくるからです。たとえば、盲腸の疑いのある人に湯たんぽを使ってしまうと、盲腸が破裂して、最悪の場合は死に至ります。そのような間違った手当を防ぐためにも、お腹のどこらあたりが痛むのか、痛みのある部位の確認が必要になるのです。また、痛みが強くなったり弱くなったりするのか、いつぐらいから続いているのか、うんちの様子はどうなのか、というようなことを聴いてから、湯たんぽを渡します。
面倒くさいなあとか、他の人がいる所で聞かないでと思った人も多いでしょう。でも、これは本当に必要な情報なのです。もし、私たちがこのようなことを聞かずに、すぐに湯たんぽを作ってしまった時は、皆さんが私たちに注意をしてください。
この他にもう一つ、これでは本当の情報が伝わらないなあと、日頃気になっている言葉があります。みんなが保健室に来た時に良く口にする、私も時々口にしては、しまったと思う言葉です。何だかわかりますか?
それは「大丈夫」という言葉です。
けがをした人や、保健室に休んでいる人に、皆さんは「大丈夫?」と良く声をかけてくれます。人を気遣って声をかけるということ、それはとても嬉しいことです。「大丈夫?」と聞かれて、元気な時は「大丈夫。」で済みます。つまり、元気になったよ、平気だよと言ういろいろな言葉をひっくるめたいろいろな意味に取れる言葉だと思います。
しかし、まだ具合が悪い時や、痛くてたまらない時に、「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫じゃない」とか「まだ痛い」と言える人は、残念ながらあまりいません。
また、体の具合はどう?とこちらが尋ねた時に「大丈夫」という返事だと、もうすっかり良くなったのか、まだ少し痛いけど、我慢できる痛さなのか、わかりません。
曖昧な言葉は、便利ですが、曖昧だからこそ、いろいろな意味に受け取ることができます。言った人が思ってるように、聞いた人が受け取ってくれるとは限らないのです。
このように、言葉は自分の情報を人に伝えるのに重要です。自分のことを分かってもらおうと思っている時には、曖昧な言葉を使わないでください。また、曖昧な言葉を友達が話した時には、これはこういうこと?というように自分の言葉に置き換えて確認をしてほしいと思います。
そうすることで、言葉の行き違いを防ぐことができ、もっとお互いがわかりあえると思います。
今日は、言葉について皆さんにお話しをしました。これをきっかけに、皆さんが何気なく、普段話している言葉の、伝えるということについて考えてみていただけたら幸いです。ご清聴ありがとうございました。