今週の「水曜朝礼」は
中学3年副担任の吉野先生よりお話がありました。
-吉野先生-
一人の生徒の話をします。
その生徒は、平成5年4月、現在の校名は中大横浜山手ですが、その前身である横浜山手女子の前の校名でもある横浜女子商業学園高校に入学してきました。
中学校は、境木中学校で、住まいは、箱根駅伝で有名な、《権田坂》の近くです。お母さんが卒業生で、齋藤緋紗子先生と同世代と聞いています。そのようなこともあり、本校に入学し、バスケットボール部に入部しました。
バスケットが巧くなりたくて、朝練も一番に体育館に来ていました。バスケット部の朝練は、自由で、志を持った人が朝練習を行うようになっています。
ちなみに彼女のコートネームは、【リキ】です。 リキは、どんなときも直向きにシュート練習をおこない続けました。飛び抜けて力があったわけでもないリキは、何事も直向きに行うことで、自分を高める努力を続けていました。
それでも、常にコートでプレイをすることができたわけではありません。特に、下級生に力が上の選手が入ってくると、ベンチに居ることが多くなり、複雑な心境だったと思います。
それでもリキは、チームのため・下級生のために大きな声をかけ続けていました。
そのようなことがあっても、決して手を抜くことがなく、直向きにゴールに向かってシュートを打ち続けていました。
平成8年、日本女子体育短期大学に入学しました。後輩の試合も自分の時間があればまめに観戦に来て、現役時代と変わらず、大きな声で後輩たちの応援に来てくれていました。
そんなリキが、12月26日 交通事故で亡くなりました。18歳です。
突然命を奪われた両親の悲しみを、私は計り知ることができません。できるわけがありません。
その両親は、しばらくしてから、この思いで多い横浜を離れ、現在は《屋久島》に移住しています。
その屋久島に、私は昨年夏1泊2日の強行軍で行ってきました。その部屋には、リキが変わらぬ笑顔で出迎えてくれました。全く変わっていません。あの時のままでした。
同級生は、33歳になります。周りは変わっていくのに、リキは変わらないまま・・・。
リキの同級生と後輩たちは、毎年1月に「リキの会」というものを行っています。リキも出席している会です。しみったれた話は全くなく、面白おかしい近況報告・子供の話、高校時代の思い出話・・・。
その会が終わると、リキは両親の待つ屋久島に帰っていきます。
私は授業の中で口にする言葉があります。
高校3年生は聞いたことがあると思いますが、【生まれてくる子供達は、すべて待ち望まれて生まれてこなければならない】ここにいる貴女方も、すべて待ち望まれて生まれてきたのです。
生まれてこなければ良かったという人は一人も居ません。そのように生まれた人は、自分の命に期限をつけてはいけないのです。
自分がどこまで生きることができるか分かりませんが、最後まで命を全うすることです。
それと同時に、私達は自分の人生の物語を日々書き綴っているのです。
その物語の主人公は自分自身です。
是非とも、自分の信念を貫き通し、自分の人生を歩み通してください。
※実際に話した内容と少々違うかもしれませんが、お許しください。